1.葦嶽山(広島県庄原)

部隊創立の話は序章でお話したので省略させてもらうことにしよう。
みなさん、ごきげんよう。日本比羅蜜度制圧隊の隊長、たろうだ。
話は時代を遡る事、数年。
1999年の残暑厳しいころになる。
私ともんもんは、表参道の飲み会での話を半ばヤケで決行すべく、
航空チケットをとり、最後の打ち合わせと称して、
もんもん宅付近の酒保にて飲んだくれていた・・・。

「明日は6:45の便だなー」
「早く寝ておかないとなー」

そして早めにもんもん宅に戻り、飲みなおした

寝坊した!!

なんたる失態だ!酒飲みながら4:30になったのは覚えている!
しかし、起床5:00予定でそれは無茶じゃないか!?俺たち!!

気がついたら5:30を廻っていた。
しかし、羽田空港へは、我が愛機「神無号(愛称:かんちゃん)」の
ポテンシャルをもってすれば容易だ。

しかし、我々は完全に覚醒していなかった!!

運転している自分がぽやぽやの状態なのである!
その横に座るもんもんは

「ビデオ撮っておこうー♪」

ノリノリである。
しかし、車内は酒臭い・・・。飲酒運転ではなかろうか??
我々の行く手には暗雲が早速立ち込めていた。

羽田に到着して、急いで搭乗口までダッシュした我々の目前には、

「台風接近の為、フライト延期中」

なんだそれ?
どうやら広島県上空には台風が接近しているらしい。
飛ぶらしいが、いつかは未定とのこと。
ちょっと寝ててもよかったんではと思った。

なんとか飛行機も飛び、
上空ではものすごい乱気流に逢いながらも広島西空港についたのは
10時頃であった。
市内まで、高速バス(?)に乗り、また隊員2名は爆睡。
どこをどう通ったんだかさっぱりの2人であった。

当日は、宮島観光と友人であるケンジ氏に会うために時間をとっていたのだが、
ケンジ:「デオデオの前で待っててよー」
広島県は2人とも初めてである。デオデオだかドムドムだかなんてさっぱりである。
ようやく市電に乗り、デオデオの前でケンジ氏と遭遇。
「じゃー、悪いけど宮島案内してくれ」

「えー、遠いんだよね結構。別のとこにしない?」

旧知の友人とはいえ、その時我々は殺意を軽く抱いた。
さて、ここはピラミッドのレポートであった。観光とグルメの部分は
かけあしで抜けるとしよう。

その夜、ケンジ氏とカワウィウィ奥様と4人で酒を飲んでから、
隊員は宿に入った。ホテル「○8」という鉄人みたいな名前のホテルだった。
素泊まりでは抜群の安さということで、もんもんの在籍している会社の書庫から

「宿70.000軒」

という素敵な書物から発見したとびきりの宿だ。
宿だ?
その本にはテキストでしか宿は紹介されていない。
7万件なんて情報にいちいち写真は載せられないのだ。
つまり目検討、あてずっぽであった。

見事に外れた・・・・。

宿の正面にはあまり手入れされていない、ブロック塀にかこまれた墓地。
部屋の中は極端に狭く、もんもんが両手を拡げると両壁に手が届く。
(ちなみに彼は身長190サンチオーバーである)
窓を開けると例の墓地、洗面所は3面総鏡貼り、便所の個室でしゃがんでいると、
頭上から人に覗かれているような気配バリバリのナイスな宿だった。

結局隣室の無呼吸&激烈大イビキになやまされ、
また部屋内のかくせないほどのでかい姿見のせいで、
私は1時間少々しか眠ることができなかった。

翌日、早々に宿を出て、レンタカーを借り、いざ、目的のピラミッドを目指そう!
と思ったら、もんもんが、

「平和記念公園見ていこうよー」

外はあいにくの雨模様である。小雨とはいえ、
これから山に入る立場の我々にはおおきなハンデになっているのである。
そこによりによって、「平和記念公園」である

私は幼少の頃に近所の文化会館に廻ってきた
「母と子の原爆展」というイベントで
その惨状の凄まじさは目の当たりにしていたし、
むしろトラウマになるほどのインパクトを与えてられていたのである。

「あそこはやべー。ホントにやべー・・。」

という、私の言葉をまったく聞き入れず、結局資料館に入ったのである。
館内で私は涙を流していた。怖いのではない。
あらためて原爆という惨状について目の当たりにしてしまったのだ。
過去にこの地で起こった事実なのだ。ということを再認識してしまったからなのだ。
館内で読んだ被爆者の方の手記などは、今も思い出すと胸につまる思いである。
館外にでたら、いきなり募金をせまられ、少し興ざめしながらも募金した。
そして、公園内のドームが見える慰霊碑(?)で手をあわせて我々はその地を後にしたのである。

時間はすでに12時になろうとしていた。
広島でお好み焼き食べて、のんびりピクニックで制圧する予定は
大きく崩れかけていた。
結局、コンビに弁当を車内で食べるという、地元よりもおそまつな昼食をとり、
高速にのったのである・・・。

しばらく走り、庄原インターで高速を降りた我々は、土地勘もないので、
駅に向かった(備後庄原駅)。
予想通り、しょぼい駅であった。ショぼさ加減に目頭が熱くなったほどである。

駅前には必ず周辺案内図がある。 それが我々の目当てだったのだ!

しかし我々がまず最初に目撃したのはある石碑である。
なになに・・・?

「母マン生誕の地」

 

・・・・???? なんだそれ?

 

たろう「ナニこれ?母マン?」

もんもん「うーん・・・・なんだろな?・・・・あっ!!」

たろう「おっ!? もんもん会長? はっちゃけた?」

もんもん「これさ・・・・、ウルトラの母みたいなヒーローがいてさ・・・、」

たろう「(ゴクリ)・・・・。 ・・・うん。」

もんもん「その『母マン』つーヒーローの石碑じゃん?」

たろう「・・・・・・・それだ! ここで生まれたのか!母マンは!!」

もんもん「そうだよー!絶対そう。やべー。庄原、超やべーよ・・・。」

たろう「・・・・やっぱ敵はヒバゴン・・・です・・・・か?」

もんもん「間違いないべー・・・。ヒバゴンも強ええからなぁ・・・・」

たろう「(ゴクリ)・・・。因みに必殺技は・・??」

もんもん「やっぱ『母の愛光線』でしょ?決まってんべ?」

たろう「それ強そうじゃん・・・。必要以上にメシ大盛りにされそうだし・・」

もんもん「でしょ?多分この分だとエロ本も整理されちゃうね・・・。」

たろう「恐ええ!それマジ恐ええ!!ベッドの下から引き出しの中に瞬間移動じゃん!」

もんもん「闘いの最中にそんな事言われてみー?
       『あんたエッチな本持ってんのお母さんちゃーんと知ってるんだからね!』とか。」

たろう「キョドっちまって闘いどころじゃなくなるよ・・・。」

もんもん「でしょ?そこですかさず『母の愛光線』だよ。もう一撃。」

 

すでに我々の頭の中では比婆山でヒバゴンと必死に闘うハハマンの勇姿が
鮮明に描き出されていた。 しかもかなり歪曲された想像で。
デザイン学校卒なんてこんな事しか考えてないんである。

因みに・・・・、

マンさんは作家・日野葦平氏のお母さんのことなのだそうである。
ヒバゴンは言わずもがな比婆山で目撃情報が相次いだ日本を代表するUMAである。


しばしの妄想タイムを終え、
周辺図を確認した。しかし、アバウティーすぎたので、
「あっちのほうかな??」程度しかわからなかったので、

「庄原名物・乳饅頭」

を食べながら、市役所に向かった。
市役所は駅からほどなく到着した。
観光課をたずねた頃は2時頃であったろうか。

もんもん「日本ピラミッドに行きたいんですけど・・」
観光課「今からですか?」
けげんそうな顔をしながらも教えてくれた観光課の兄貴に別れ際、

「そういえば、比婆山も近いですよね、出るんですか?ヒバゴン。」

「最近出てないみたいだね〜・・・」

きっと村おこしを買って出た村長が中に入ってるんだなと我々は確信しつつ、
ついに夢にまで見た日本ピラミッドへと車を進めたのである。

つづく!!

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